ソフィーママの世界

抜粋コラム
ソフィーの精神世界
真実のリアルワールドに生きるために
~パワーストーンに出来ること~
(2017/2/3のブログより)

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真実のリアルワールドを生きるために
 ~パワーストーンに出来ること~
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私たちが生きている毎日の日常について
人それぞれ いろんな思いがあると思います。


順風満帆に進んでいる時以外は
誰もが皆一度は、何かが違う、どうも腑に落ちない 
何かが欠けている気がする、と思ったことがあるのでは
ないでしょうか。





それは まさしく 日々の現実社会だけを基準に
生きているときに「何か忘れてませんか?」といった
問いかけのように起こる現象の一端ではないかと思うのです。


スピリチュアルブームがもたらした言葉の中に
「ワンネス」という言葉があります。
それは 二元性ではなく全体性を生きると言う意味で伝えられています。


よくあるワンネスの説明に 対立することなく、調和を持って生きる
地球環境や世界平和、人権、動物愛護などがあります。
それは勧善懲悪的世界の新しい道徳を唱えるかのようにもみえます。 


しかし本当のワンネスはそんな目に見えることだけでしょうか?
ワンネスの真実を 私たちはどこまで捉えられているでしょうか?


何か都合の悪い事が起こるとき、それは社会のルールだからとか
誰かのせいとか ああすればこうすれば良かったとか
究極には罰が当たったんだとか、なにかと手探り的に問題を解釈します。
そしてどうしたら解決できるのかと日々安泰に過ごすために
必死でもがき苦しみながらも模索し続けます。


でも 本当に物事は 私たちのコントロール下だけで
動いていると思いますか?
人間の頭で考えたルールだけで この世は成り立っていると
本当に思っていますか?
何も霊魂やカルマなどの話をしているわけではありません。





私の好きな著者にアーノルド・ミンデルという理論物理学・臨床心理学者
がいます。ミンデルは私たちのものの見方や意識について
このように例えています。


「半月の時のお月様を見上げ、光が当たっている部分だけが
月であるかのように思っていることに似ていると。」


つまり月は満月の時以外でも まん丸の球体なのに
光の当たっている部分しか私たちは見ていない。
影の部分のことを感じようとしない。


私たちが住むこの世界は、目に見えることだけが全てではありません。
日本では八百万の神や妖怪、また世界中の神話が存在するように
精霊達の世界も影の部分に含まれます。
時間を超えた、次元を超えた見えない存在達も関係しているし
様々な要素が渦巻いていることから、この世界は成り立っているんです。





オーストラリアの先住民、アボリジニーの文化では
その月の影の部分をドリームタイムと呼びます。
彼らは明晰夢を現実と同じように、いえそれ以上に大切に扱い
目覚めているときでも その明晰夢の世界、ドリームタイムを生きます。
家から遠く離れた場所で困った事態が起こっても
彼らはテレパシーのように そのドリームタイムの中でコンタクトし合い
助け合ったりします。彼らの生活の中では全てが真実なのです。


少しでもその彼らの世界を感じたかったら自然の中に出かけてみることです。
大自然の中にいると「あ~このエネルギーに包まれているだけで
幸せっ」て感じられることと思います。
大自然の中には なにか人智を越える未知なるものが
存在しているのを感じます。しかし それは恐れではなく
この宇宙を司る要素の一部であり それも一種の生命体であり
これこそがワンネスをまとめ上げているパワーなのかなと
思えるほどです。 




昨秋、原因不明の耐え難い頭痛に悩まされました。
右の上あごから、こめかみに至る三叉神経と言われる部分です。
その激痛は10日間あまりも続き ここ何十年も飲んだことのない
痛み止めを一箱空けても治まらず、歯科も耳鼻科も脳のCT、MRIでも
異常が見つからず全く原因がわかりませんでした。


ついに痛み止めの効きも悪くなり3時間ぐらいしか持たなくなってきたとき 
あまりにもの痛さに大暴れし、泣きわめくしかなくなりました。
その時思わず「本当はこんなことやりたくないんだ~
○○だと思っていたんだ〜。だから仕方なく我慢してたんだ~」
とかいろいろ叫びまくっていたんです。


さんざん泣きわめいたあと、ふと頭がすっと軽くなった気がしました。
そして次の日には 痛み止めが必要なくなっていました。
なぜ このような話をするのかというと 
「身体の症状は全て、そんな見えない世界の感覚を無視したことによる
ウェイクアップコールである」ということに気づいたからなのです。


こんな苦しい状態になったときでも シンクロニシティは
続いていました。たまたまその時期に読んでいたトランスパーソナル心理学
の本、「無境界/ケン・ウィルバー」にその原因となるような
記述が載っていたからです。


「怒りの感情や敵意を感じた時に発散せず、それを我慢することで筋肉を
緊張させてブロックを作ってしまう。」
そして、その場所はまさしく上顎やこめかみ、首、肩だったのです。
そして 一番印象的だった記述が


「自分で自分をつねりながら、その痛みを誰かに止めてくれと
言っているようなもの。自分でつねっていることがわかって初めて
それを止めることが出来る」というものでした。


なにかのふとした見えない世界からの呼びかけがあったのに
無視し続けていた結果、事態が深刻になってしまったり
何度か「あっ」と思い出したのに 無視したために
鍋を焦がしてしまった。大事な約束をすっぽかしてしまった。
という経験はありませんか?


それが ドリームタイムからの呼びかけだということに
私たちは何らかの形で気づいてはいるんです。でも大体は
たいしたことに思えず、無視してしまうのです。
とはいえ、その影の部分が重要なんだという、
アボリジニーたちの教えを私たちは学んでいないのですから
当然だと言えば当然なのですが・・・





私の今回の症状は右側に出ていました。右側はコントロールを
司る場所です。そこに怒りや我慢を抱え込んでいた為の痛みだとしたら
本当はどうしたかったのか?ということが気になりました。
そこで、プロセスワーク心理学の創始者、
上記のアーノルド・ミンデル氏の方法をやってみることにしました。


抑圧していた思いを身体の動きや傾向性で探っていくというワークを
行っていくうちに自分の内側にあった思いやヴィジョンが
はっきりと浮かび上がってきました。
それは私の何十年間の人生に渡って影響し続けた結構重大なことでした。
そして石が常に大きな存在としてシグナルを送ってくれていたことにも
気づけたのです。


しかも この影響は避けることが出来た類いのものではなく
逆戻しで、たどって行っても全部今につながっていて 
まさにこの世はシンクロである不思議さと
コントロールなんて不可能であることを痛感したのです。


仏陀が言った「ああ無常」という言葉は
この世は常に変化に満ちているという意味と
コントロールなど本当はできず、宇宙のなせる技 つまり
この世界は神のみぞ知る。と言いたかったのではないでしょうか。


だから頭で、あ〜だこうだと考えても仕方ないこと。
全体で動いているものに、一人でじたばたしたってしょうがないこと。
「起こってくることをただ受け止めていく」
というのが 真実のリアルワールドなんだと思うのです。


だからといって ただ諦めて何もしないということではありません。
私たちは そんな宇宙が投げかけてくる出来事や
インスピレーションを元に クリエイト、つまり何かを創り上げて
いく存在なんだと思うのです。


平穏無事を祈ることに力を費やすのではなく
起こってくることを受け止めて そこから何かを感じて創造を続けていく
それこそが人間として生まれてきた喜びであり、
「真に宇宙で遊ぶ」ということなのかもしれません。


それは 現実社会だけをみた日々の暮らしの繰り返しでは
絶対に感じられない世界。
見えるもの見えないもの、時間や次元を超えたもの、
何だかわからない全てをひっくるめた、
『真実のワンネス』を生きてこそ初めて
腑に落ちた感覚、ゆだねて生きることへの感謝の念
そしてようやく自らの本当の人生が見えてくるのだと思うのです。


パワーストーンをエネルギーツールとして使うことを提案すると
ヒーリングをするの? 魔除けに使うの?浄化するの?と
いろんな質問が飛び交います。





真のエネルギーツールとして使うパワーストーンとは
まさに この見えない世界へのウェイクアップコールとして。
また現実の世界にまみれてしまったときに 
月の影の部分に気づくために必要とされる大切な存在なんだと思います。


植物も動物もモチロン、その感覚を伝えてくれますが、
石は枯れることもなく、餌や排泄物の世話も必要としないのです。
ドリームタイムな世界で宇宙とつながっているので
常にエネルギーを送り続けてくれるフリーエネルギー的に
希有で有り難い存在なのです。


気になる鉱物、人工的に加工処理されていない原石を手にとってみて下さい。
そっと目をつぶりエネルギーを感じてみて下さい。
そして いつも身近に置き、コンタクトしてくる彼らのエネルギーを
無視しないで下さい。いくつか原石をお持ちなら その時の状態に
応じて気になる石が全く変わってくることに気づかれることでしょう。
蜘蛛の糸の別解釈で気づいたこと・・・
蜘蛛の糸の別解釈で気づいたこと・・・


先日、何気なしにネットをみていたら
芥川龍之介の蜘蛛の糸はなぜ切れたのか?
という内容のコラムに出会いました。


芥川龍之介の蜘蛛の糸といえば 小学校か中学校の
教科書にものっているような有名なお話ですね。



地獄にいる大悪党の男が生前 小さな蜘蛛の命を助けたことから
慈悲を感じたお釈迦様がチャンスをやろうと
蜘蛛の糸を地獄に垂らしてあげます。
それを見つけた大悪党の男は 蜘蛛の糸につかまり天に向かって
登り始めます。その光景をみた他の悪党達も続いて登ってきます。
何百 何千人ともいえる大勢の悪党達が登ってきたので
大悪党の男は、細い蜘蛛の糸が 重みに耐えかねて切れてしまう
と思い、「これは俺の糸だ おまえ達は降りろ!!」と
叫びます。
そのとたん、蜘蛛の糸は 男が持っているちょうど手前で
ぷつんと切れてしまい。元の地獄にまっさかさまに落ちてしまった。
というお話です。


これは 自分のことばかり考えて 相手を思いやらないから
罰があたって切れてしまったのだ という解釈だったように
思います。


そんな蜘蛛の糸について とあるコラムでは
なぜ蜘蛛の糸は切れたのだと思う?と第三者に尋ねます。
そして こう締めくくります。「信じなかったからだ」と


私はこの解釈に久しぶりに感動を覚えてしまったのです。
これは俗に言う やったことが帰ってくる宇宙の法則を
表しているんだと思っていたけど こうきたか!!と思えるほど
まるで宇宙からのメッセージのようにまで感じたのです。


そうなんです。神様が垂らしてくれた蜘蛛の糸は
神様が創造した代物です。神様が創造したものは絶対に完璧なのです。
助けようと垂らした糸は切れるはずなどないのです。
だから 信仰心があれば 自分を初め 全員に助かるチャンスを
あげることが出来たわけです。


「信仰心」といっても 何も宗教に入って なんらかの
信仰を持たなければならない とかいってるわけではありません。


つまり神様が創造したものは完璧であるということは 
私たち人間も、この周りにある状況も 
良いも悪いも全てにおいて完璧だということなのです。


本当の信仰心というのは こういうことではないか?と
神様に手を合わせて願いを叶えてほしいと
祈ってばかりいるのではなく、全て完璧であると信じることだと。


こうすれば良かった ああすればよかったなどと 
私たちは後悔したり 念のためにと未来について準備します。
全て完璧なんだと宇宙を信じることが出来たなら 
必要だったから今の現状があるんだと理解できます。


そして 自分が神の創造物であるならば 限界を決めているのは
自分の勝手な思い込みなのではないか?とまで思えてきます。


この寓話のおかげで「信じること」の本当の意味がわかった気がして
感慨深い気持ちでいっぱいになったソフィーでした。(o^^o)


忙しいだけの毎日から気づきの毎日へ
日常の何気ないことが宇宙からのメッセージだったりします。
あなたも ちょっとした些細なことから始めて見ませんか?


Mama Sophie

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